『愚かなり、わが心。』
云いたいことを云いたいだけ云って、命を永らえるものも居れば、従容として死出の途につくものも居る。
「あんた、初対面の曹公に剣突喰らわせて、牢に放り込まれたんだってな」
目と同じくらいに釣りあがった眉を寄せて、郭嘉は反問しようとした。
それを遮り、張遼は被せるように、云った。
「言葉ってのは、諸刃の剣だな。
ひとを生かしもすれば、殺しもする」
「なんの話がしたいんだ?」
鎧戸をおろした窓の外から、一筋の光も差し込んでは来ない漆黒の闇の色で、まだ、朝が遠いことが、知れた。
星も月もない夜は、天子の住まうこの都であっても、昏い。
「言葉など、本当に、役に立つのか?」
卓子の上で、油の満たされた小皿に点された灯火が、ゆらり…揺れた。
張遼の半身を沈んだ赤い色で照らし出す炎が躍ると、それに連れて、張遼の表情も、揺らいで見えた。
「無論だ!」
知らず、郭嘉は威儀を改め、布団の上に端座して、反り返るようにして、論戦を挑んできた張遼に、正対した。
「言葉こそが、力だ。
万人を陶酔させ、震撼させ、感服させ、隷属させる。
真に力のある言葉ならば、一言を以って真理を言い当てることも可能だ。
言葉のみが永遠の命を持ち、言葉のみが無から有を生み出す。
万物を創り上げ、運命を変転させ、あらゆるものを支配する。
語られた言葉が現実となるとき、世界は変貌し、新たな生を享ける」
一気呵成な『言葉』の氾濫に、気圧されたかに見えた張遼は、言動ではなく、行動で、反論を試みた。
背もたれのない椅子から、立ち上がり、ぎしり…床板を軋ませて、張遼は郭嘉に近付いてきた。
「あんたの言葉には、天地をひっくり返すほどの威勢があるんだな」
身長では頭ひとつと半分。
体重ではおよそ二倍。
比較にならないほど懸絶した体格差を持ち、ただ、そこに存在するだけでも威圧感を醸し出す張遼を目前にしても、郭嘉は微塵の動揺も、その態度に顕わしはしない。
「俺にも教えてくれないか?
真に力のある言葉ってのを」
「教わってどうするのだ?
俺に代わって曹公の数十万の軍を、動かすか?」
見上げる眸の、灼熱を含んでいながら凍てつくように澄んだ静寂は、おのれの信念に絶対の確信を抱くものの勁烈を宿していた。
「…俺の言葉がおまえに届かないのは、俺の言葉が間違っているからだろうか?」
「……」
思うに。
…と。
張遼は、無造作に左手で郭嘉の喉首を鷲掴みにして、かるく、五指を握り締めた。
「力の前に、言葉など無力だろう?」
一言半句を搾り出すどころか、呼吸すら阻害されて、郭嘉の薄い唇は、わなないた。
意思とは無関係に、じわり……涙があふれ、視界を曇らせる。
言葉が心に響かぬのなら。
力で身体に刻むより。
わが意を伝えるすべはなし……
|| モドル||
『滔天廻路:上演作品目録』||
ススム||
製作年月日:04/11/07
文責:市川春猫