『君知るや、我が心。』




「実のところ…もっとも、目を引き心を惹いて熄まないのは、善美ではなく醜悪なのだ…と、誰かが云っていた……」
 目を逸らせないほど悪辣に、見苦しく、うす汚いものが、心を捉えて離さない。
 つがい…はめて…
 しみだすとも…わきだすとも…どちらのものなのかも判らないぬらつきに援けられ、褪せた昏い色合いの、深い海の底に棲むようないきものの、遠い血縁なのかも知れない粘膜をこすりあわせる営みが、白日の陽のしたで演じられているのを直視したなら、そのあまりの呆れた滑稽に、笑うよりほかないだろう。
 この行為には愛の介在が不可欠と唱える寒々しさを虚妄と断じて憚ることはないだろう。
 当事者においては沈痛な悲劇も、部外者においては片手間の喜劇に過ぎない。
「……」
 いくら暴れてみても、悉くは徒労だった。
 捕らえた獲物を生かさず殺さずに玩ぶ猫科のケモノの残忍さで、男は、苛む。
 ほら、もう、こんなに……
「……張遼!
 あなたは、わたしに、憎まれたいのか」
「無関心よりは、遥かにましだろう?」
 初夏とも思えぬ気温の上昇のせいなのか、あるいは別の理由があるのか、郭嘉の血の色を感じさせないわずかな陰影が青褪めた隈となって見える素肌が、うす淡くありなしの湿度を含んで仄温かい…
「合意を得ずに他人様にこのような仕儀を強いるのは、犯罪行為だぞ」
「…事後承諾でどうだろうか?」
「ふざけないでいただきたい!」
 抗いを封じるために、耳の間近かに広げて押さえつけていた…男の、十分な余裕を残した力の加減では、痛みなど、感じさせはしなかったけれど…渾身の力を込めたなら、郭嘉の撓骨など、貝殻細工の儚さで、粉微塵になってしまうことだろう…手首から左手を離し、五指を郭嘉の髪に梳きいれる。
 ……まるで、夢。
 胸の、浅いところで切れ切れに繰り返す呼吸は、必要なだけの酸素を供給しきれずに、意識は遠く不透明にどこか遠くに拡散してゆく。
 文字通り…『舐めまわす』視線と舌尖の愛撫に、意思に反して、躰はとても…正直。
「………!」
 脣を噛み締めて、押し殺す、嬌声。
 刺し貫いて…
 骨が軋むほど。
 それだけではたりない。
「合意など、必要なのか?」
 言葉のうえでの諒承などに、何の意味がある?
 言葉でひとが、縛れるか?
 ひとのココロは天気と同じ。
 人間の力で、どうにかなるものでは、ないだろう。
「すくなくとも、な。
 ……奉孝。
 あんたの躰は、俺に応えてる」
 ―――俺は、目に見える事実を、信じる。
 子どもめいて、繊く、頼りなげな、ゆるく波打ち、光の綾によっては青丹とも浅葱ともつかない艶を刹那の幻のように浮かべる髪は、絹糸の、心地よさ。
「春知らぬ…娘の風に結い上げて…さて……紫丁香花でも飾れば、似合いだろうか」
「ひとこと云わせていただきたいのだが」
「なんなりと」
「たいがい…あなたは悪趣味だ」
 目を細め、笑うと、この男は、齢よりも遥かに幼く見える。
 


 いまごろ気づいたのかね?






|| モドル|| 『滔天廻路:上演作品目録』|| ススム||
製作年月日:20:36 2005/06/09
文責:市川春猫