『愚かなり、わが心。』





 四天王の筆頭…と、看做される夏侯惇をはじめ幕僚の将帥は、人目に立つ長身の持ち主がおおい。
 曹操が彼らを背に従え戦場に立つとき、兵卒はその威風堂々たる容儀に崇敬の念を抱き、全幅の信頼を寄せた。
 そのなかにあって、新参ではあるが、関羽と互角の勝負をした剛の者として名を馳せた張遼もまた、他にひけをとらない偉丈夫では、あった。
 敗軍の降将ながら、曹操に破格の待遇で陪臣に加えられた張遼は、異形異相の持ち主でもある。
 白髪と見紛う日の光の当りようでは銀色に見える髪を逆立て、手には青龍刀を携え、いつも、どこか人を喰ったようなとらえどころのない、見ようによっては得体の知れない微笑を浮かべている。



「小言なら、聞かぬ」
「云って聞くならとうにその品行は修まっているはずだ」
「結果がすべてだ。
 答えを出している限り、俺は俺のやり方を通すさ」
「怨まれても、謗られても?」
「…あんたが気にすることじゃないだろ?」
 酔眼をあげて、きつく眦の釣りあがった癇癖そうな男は、張遼に眸を据えたまま、薄く、哂った。
 夜さり、物思いなどしたことのない、繊細さなどとは縁がない…と、おのれの情操に見切りをつけている張遼は、薄氷の尖ったかけらのような、目の前の…生粋の軍師に、淡く微笑を返した。
 やわらかな暖かさにくるまれて、本当の心の底を窺い知ることのできない、不可解に謎めいた、笑顔だった。
 それが…
 絶体絶命の死地にあって神算鬼謀の策を縦横に巡らせる男の癪に障ったものか…
「ニタニタ笑ってるんじゃねぇや。
 用がないなら帰れ」
「つれない男だな」
 こと…戦に関わりのあることならば、裏の裏を読み、敵の先手の先手を打ち、万事遺漏なくそつなく輜重諜報その他の雑事をこなし、完膚なきまでに敵を玉砕し、錦上添花の圧倒的勝利を得る立役者となる郭嘉も、ひとたび戦場を離れてしまえば、実は…いくさ以外の何物も知らない、世間知らずな少年に等しい幼い部分が、あった。
「ここを出てけと云われたら、ほかに行くところがないんだがな」
「…家があるだろ?」
 にィ…と。
 愛嬌のある片えくぼを頬に刻んで、張遼は大げさに肩をすくめて見せた。
「あんたの居るところが俺の家だ」
「…!?」
 戯言もたいがいに…
 いちど見たならば、生涯忘れることのできない、特徴のある切れ長の目を、瞠いて、郭嘉は、視線だけで、辺りを見回した。
「ここは、どこだ?」
 謀略を自在にする、軍師の中の軍師といわれる男にしては、間の抜けた科白だ。
「…酒毒がとうとう頭に廻ったか」
 そもそも、ここは、どこなのか。
「云わんこっちゃない」
「聞いてないっ!」
 見覚えのない場所だ。
 ここに来る前は、どこで何をしていたかさえも、思い出すことができない。
 気がつけば、体の節々が、痛む。
 それは、打撲傷の痛みに、近い。
 なにもかもがおぼろげな靄に閉ざされたかに、記憶は鮮明を欠き、明瞭さを失っている。
「思い出しもしないか?」
 司空閣下の執務室を退出してから、女を買いに、色里へ向かった。
 馴染みの店や通いつめる女などは、作らない。
 目に新鮮であることが、郭嘉の情欲に火をともす。
 味を覚えてしまったものに、新たな感動など、ありはしない。
「前後不覚になるまで、呑むなと程軍師どのにも釘を刺されていたはずだが…」

 

 顔に似合わぬほど、その声は、優しい。





|| モドル|| 『滔天廻路:上演作品目録』|| ススム||
製作年月日:04/11/07
文責:市川春猫